伊達町指定文化財-004/007page

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11.文人寄書屏風(半双)
−伏黒字舘ノ内23冨田以孝蔵−
江戸時代末期冨田洋々亭宅に集った著名な文化人が書き残した詠草や詩歌等を屏風に仕立てたものである。(昭58.5.11指定)

考古資料
12.金秀寺七角石塔
−伊達町字広前2金秀寺境内−
金秀寺七角石塔
高さ170cmの石塔に、7体の仏像が浮き彫りにされ「寛正甲甲四月八日」(1464)と刻まれている。(昭47.3.13指定)

13.光台寺供養塔(六基)
−伏黒字北屋敷55光台寺境内−
板碑は、中世(鎌倉・・室町時代)に追善供養のため建てられていた石の塔婆で、この6基の板碑には「正応2年」(1289)と刻まれている。そのうち5基は大正7〜8年観音前の畑から発堀し、1基は荒屋敷の三田八幡大けやきの下にあったものを移した。(昭47.3.13指定)

歴史資料
14.信達二郡村絵図屏風(半双)
−伊達町字舘ノ内20佐藤昭市蔵−
信達二郡村絵図屏風(半双)
信夫・伊達両郡を風俗絵画の手法を加味して描いた村絵図屏風で、江戸時代初期、延宝年間(/670年代)の作とみられる。村名を金箔の平がなで、村落は数戸の民家をもって示している。中央に奥州道中、平行して阿武隈川、渡船場、村道が明記されている。
縦176cm、横352cm六曲半双(昭56.2`18指定)

15.紙本彩色 伏黒村絵図(四幅)
−伏黒字一本石34-5冨田健吾蔵一
上杉領から幕府領に移った延宝年間、信達地方の総地検が行われた頃から、延享・天保・明治初年に至る伏黒村絵図で、耕地の変遷、住家の移動を知る上で貴重な資料である。本地起返反別帳1軸と、本畑分見絵図3軸がある。「起返」の附図は、阿武隈川の洪水により被害をうけた田畑の復旧状況を示す。(昭56.2.18指定)

16.紙本彩色 長倉村絵図(一幅)
−伊達町字馬場口47山崎芳郎蔵−
嘉永4年(1851)長倉村の地勢略図で、川沼・社寺・人家等が描かれている。(昭56.2./8指定)

17.紙本彩色 長倉村絵図(一括)
−伊達町字川原町91根本七郎蔵−
「長倉村土地丈量図」は明治初年の作成で、後の地籍図作成の際の原本となった。「古地図」は作成年不詳であるが、長倉村の耕地や住家の変動推移を知るうえで貴重である。(昭56.2.18指定)

建造物
18.
伏黒河岸寄蔵
−伏黒字川岸5渡辺司家−
伏黒字川岸5渡辺司家
寛文年間(1660年代)阿武隈川畔に信達地方の年貢米を貯蔵する10か所の寄蔵(河岸蔵)がおかれた。
伏黒河岸寄蔵はその中の一つで、阿武隈川沿岸に現存する唯一の旧跡である。年貢米は船「仙台に送られ、更に荒浜から江戸に送られた。寄蔵は江戸時代の産業`交通の有様を示す重要な文化財である。(昭56.2.18指定)


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