わたしたちの梁川町 社会科しりょう - 070/086page 

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年   表

※太字は学校のできごとをあらわします。
※町全体のことは梁川地区にのせました。

梁 川 地 区  
で き ご と
明治4
5
6
12

13
21
22


24
29
33
40
42
43

大正2

3
7
8
9
11
14
昭和2

4
5
7
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12
18
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藩(はん)の名で学校つくる
○ゆうびんとりあつかい所できる
陣屋の建物に小学校をおく
○旧梁川町役場ができる
○梁川・保原間が県道となる
○けいさつ署ができる
○蚕業(さんぎょう)とりしまり所できる
○梁川村が町となる(人口4,715人)
○農業と商業をかねる家が150けん
○天神さまに市がたち、4と9の日にきいとがとりひきされた
○東北線が開通する
そうま地方へ6日間の修学旅行をする
現在地に校しゃをつくる
ぎむ教育が6か年となる

○伊達学館ができる(こうこく寺内)
○梁川・保原間にけいべん鉄道開通
○電とうがつき電話加入者ふえる (46戸)
○あぶくま川、広瀬川大水
 家、田畑流される
○蚕業しけん場できる
○このころ、せい材所、ぼうせき会社、蚕種会社できはじめる
○実科女学校できる
こうどうできる
○銀行できる
○私立保育園できる(9年と14年に2つ)
○梁川・福島間に電車が開通する
○あぶくま川に梁川橋がかけられる
校しゃぞうちくする(児童数1,173名)
○梁川・福島間にバスが開通する
ピアノがきふされる
○このころ、まきストーブ入る
○広瀬川の堤防工事はじまる
○大水で田畑が流れる
そかい児童がくる
○戦争はげしくなり品物が買えなくなる
○太平洋戦争おわる
ぎむ教育9か年となり中学校できる
PTAできる
子ども銀行はじまる
給食はじまる

○梁川高校が男女共学となる
校内放送はじまる
○このころメリヤス工業さかんになる
○公立藤田病院ができる(国見町)
校しゃのしょうじ戸をガラス戸になおす
ジャングルジム・シーソーなどつくる

○1町6か村ががっぺいして梁川町となる
○このころメリヤス工場たちはじめる
町の水道が学校までひかれる
○梁川橋かけかえる
○国保病院できる
小・中のプールをつくる
○公民館ができる(現福祉会館)
○役場を栄町につくりかえる
○このころから自家用車ふえる
○このころからテレビがふえる
校歌できる
こてき隊できる

○有線放送はじまる
完全給食となる
○共同しにょうしょり場できる(粟野地区)
○しょうぶざわに町営住宅できる
特しゅ学級できる
○町章ができる
町立ようちえんできる
今の校しゃができる
校内テレビ放送はじまる
幼・小・中共同の給食室できる

○自動信号機つけられる
○電車がはいしされる

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