▲丸タンクのそばにたてられた東根堰につくした人の記念ひ
▲石丸山公園の下にたつ砂子堰記念ひ
●用水路の年表
<砂子堰>(保原町役場 東根堰土地改良区の資料より)
西暦 年号 ことがら 1596 慶長元年 阿武隈川の水を箱崎のところで取水しようと工事したが失敗した。 1596 慶長3年 広瀬川の水を取水しようと計画し着工した。(砂子堰のはじまり) 1600 慶長5年 一部が完成した。 1604 慶長9年 砂子堰が開通した。 1605 慶長10年 阿武隈川からの取水工事がまた失敗した。 1616 元和2年 砂子堰の取水口を改良した。 1618 元和4年 (西根下堰が完成した。) 1624 寛永元年 (西根上堰を開くために着工した。) 1632 寛永9年 (西根上堰が7年間かかって完成した。) 1674 延宝2年 砂子堰の大修理が行われた。 1675 延宝3年 水を田に取り入れる時間などのきまりを決めた。 180? 享和?年 砂子堰の修理。 1807 文化4年 阿武隈川からの取水工事がまた失敗した。 182? 文政?年 堰が約200mこわれる、20両でなおす。 1832 天保3年 砂子堰に新堰がきずかれた。 1835 天保6年 新堰上工事が行われた。(泉原地区) 人足700人 1848 弘化5年 2年の年月をかけて、片貝山と石丸山のトンネルが完成。(236メートル) 1853 嘉永6年 砂子堰の負担をへらしてほしいという願いが出される。 1875 明治8年 阿武隈川からの取水工事が測量のあやまりで、またまた失敗となる。 1882 明治15年 砂子堰の大修理着工。 1890 明治23年 大修理が完成。 1891 明治24年 水利組合のきまりができた。 1970 昭和45年 水路の大改修に着工。 1982 昭和57年 水路の大改修完成。(トンネル252m、水路7,720m)工費2億4千万円 1987 昭和62年 団体営かんがい排水事業着工。(梁川細谷地区) 1992 平成3年 団体営かんがい排水事業完成。
<東根堰>
1909 明治42年 阿武隈川より電力ポンプで揚水することが計画されて着工。(箱崎) 大正3年 電力ポンプをつかった阿武隈川そ水が完成。東根堰ができるまで使用。 1935 昭和10年 阿武隈川信夫発電所ダムから取水する東根堰工事が県の時宜用として始まる。 1944 昭和19年 東根堰の工事が完成した。 1945 昭和20年 上保原大柳の丸タンクより下流の水路改修工事が完成。 1948 昭和23年 アイオン台風による水路のいたみの復旧工事をする。 1952 昭和27年 トンネルや水路の修理を3カ年継続で行う。 1973 昭和48年 5カ年継続事業として、水路をコンクリートにする工事を着工。 1984 昭和59年 信達トンネル改修工事着工。(昭和48年からの最後の部分) 1989 平成元年 昭和48年から始められた用水路の改修工事が完成。総事業費24億9,100万円。総延長19,960m(トンネル部分6,456m) 1989 平成元年 東根堰改修記念碑建立。
●用水路の開発につくした人々
渡辺新左衛門
砂子堰の用水路を梁川の堀江与五衛門とともに開発した。下保原村開拓の指導者。
三代舟山庄蔵 1788〜1857(天明8年〜安政4年)
砂子堰の片貝山隧道を、大石義三郎(保原)村上藤七(大田)らとともに完成させた。
熊坂六郎兵衛 1862〜1936(文久2年〜昭和11年)
地域の水不足をなくすために努力した。東根堰を開発する計画や、工事の着工に力をつくした。
熊坂六太郎 1885〜1967(明治19年〜昭和42年)
父六郎兵衛と同じく、東根堰の開発につくし、太平洋戦争下10年間にわたる工事を集成させた。
松田甲次郎 1874〜1972(明治7年〜昭年47年)
村長や県会議員をあわせて40年もやり、東根堰の開発などの水利事業にも力を注いだ。