わたしたちのまちほばら-046/051page
▲トンネルの出口ふ近
▲ととのえられている水路(まっすぐな所)
▲川と交差する水路
▲丸タンクヘ流れるサイフォン水路
▲丸タンク(分水そう)
▲水門ふ近に広がる水田
▲東根堰トンネル改しゅう工事
▲現在はコンクリートの水路にかえられています。
この用水路は、阿武隈川の信夫発電所ダムから、水を取り、福島市渡利、岡山をへて、保原町大柳の丸タンク地点で水を分け、東は梁川町細谷の砂子堰まで、西は伊達町箱崎まで水をおくっています。全長は約25km、50の分水口から水をくばり、かんがいの面積はおよそ900ヘクタールです。
工事は、長い間の願いがみのって、県の事業として昭和10年にはじめられ、10年の年月をかけて昭和19年6月に完成しました。ちょうど戦争中だったので、働き手や物資の不足、それにトンネルを7つもほるという苦労もありました。土地の人びとが、熱心に協力しあったので、りっぱに完成することができました。(そのころのお金で133万円かかりました。)
その後、たびたび改修が行われ、今のような用水路になったのです。このおかけで、400年ほど前からなやみつづけていた田んぼの水のもんだいも解決されたのです。約2400戸の農家の田をうるおし、米作りが行われているわけです。
この用水路の完成をたたえた記念ひが、保原町の神明宮境内にたっています。また、開発のために力をつくした、熊坂六郎兵衛、熊坂六太郎、松田甲次郎の三人の顕彰ひが、丸タンクのそばにたてられています。
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