努力の人信夫山-001/008page
努力の人「信夫山」
「関脇昇進、おめでとうございます。」
「今度は、大関めざしてがんばってください。」
昭和三十三年、ついに念願の関脇への昇進を果たし、たくさんのファンに囲まれ、お祝いの言葉を受ける信夫山の顔には喜びがあふれていた。
信夫山にとって、関脇に昇進しるまでの道のりが、長くきびしいものであっただけに、喜びも一きわ大きいものであった。
信夫山は、大正十四年(一九二五)、保原町のまゆ問屋本間家に生まれ、栄と名付けられた。
栄少年は、小さい頃から運動神経がバツグンにすぐれていた上に、小学校高学年になると体がぐんぐん大きくなり出した。友達とすもうを取っても、だれも栄にかなうものがいなくなり、栄は上級生さえ投げ飛すほどになった。
やがて、近所に住んでいたすもう部屋の知り合いの人から、力士になることをすすめられ