霊山町の文化財 -013/023page
町指定文化財
【史 跡】懸田城跡(かけだじょうあと)
掛田市街地の東側を流れる小国川の対岸、茶臼山(古城山)にあり、城館としてその形態をよくとどめ、史跡としてもその存在価値については内外に評価の高いものがある。
標高255.2m 比高差125m、土塁、空堀、帯郭から成る山城である。城自体独立丘陵に位置そ、茶臼山山頂部の主郭を中心として西から南へ湾曲する急斜面の稜線上に、小郭が階段上に張り出す梯郭式の綱張りである。本郭直下約20mの帯郭より登る通路は、全体的に螺旋状を呈しており主郭部付近に至り渦郭式の形状を呈している。懸田城の築城時期は明確ではないが、南北朝時代の南朝方の武将懸田定隆の居城であり、霊山城の出城でもあった。
信夫郡岡本村高松城主陸奥六郎義隆の子、高森近江守定隆(懸田定隆)が南北朝時代の南朝方北畠顕家に仕え、建武2年(1335年)信夫郡高松城より霊山城の出城である懸田城に移り、懸田氏を称したとされている。現在は桜の名所としても親しまれている。指定日 昭和57年7月15日
所在地 霊山町大字掛田字古城山地内外
所有者 掛田財産区町指定文化財
【史 跡】行人田遺跡(ぎょうにんだいせき)
昭和58年に発掘調査された。
地上遺構として室町時代から江戸初期にかけての経塚、地下 遺構として縄文時代前期頃と考えられる土抗群が発見された。指定日 昭和52年7月15日
所在地 霊山町大字下小国字行人田24
所有者 個人所有