霊山町の文化財 -016/023page

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町指定文化財
【無形民俗文化財】

【濫觴神楽(らんじょうかぐら)】

濫觴神楽
 南北朝時代、義良親王を奉じて霊 山に入城した北畠顕家が、ご幼少の 親王を慰めるため臣下の若士をして 抜刀舞踊させたのがその始まりとい われる。
 以後、顕家が出陣するに降し、武運 長久を祈願して、麓の鈴嶽神社に奉 納されていたのが、今に伝えられて いる。

【関東案山子舞(かんとうかかしまい)】

関東案山子舞
 今から数百年の昔、霊山に国府がおかれ た頃、坂ノ上地区には多くの人々が田畑を 耕し平和に暮らしていた。しかし近くの山 野には猪がたくさん住んでいて、田や畑を 荒らすため農民達は大変因ってしまい、つ いに弓を持って猪を射殺してしまった。け れども里人達は、殺された猪をあわれに思 い、供養のため猪頭をつくり、踊り舞ったの が始まりといわれる。

【濫觴武楽(らんじょうぶがく)】

濫觴武楽
 今から約650年前の南北朝時代、 北畠顕家卿が義良親王を奉じて霊山 城に入城した際、山上の山王大権現 に剣の舞を奉納し 武運長久と士気 の鼓舞を祈願したのがその始まりと いわれる。

【十三講会式(じゅうさんこうえしき)】

十三講会式
 宗租日蓮聖人の御入滅の日である 旧暦10月13日に行われている。
 地区民によって仏前に供えられる 二本の餅柱奉納行事ほ、蓮昌寺の記 録などから推測して、天明時代から 行われていたことが明らかである。

【下大石獅子舞(しもおおいしししまい)】

下大石獅子舞
 江戸時代中項の享保年間、下大石 の大槻三郎兵衛が、伊勢参拝の帰途 京都見物をした際、子供達への土産 にと三匹の獅子頭を買い求め、祇園 の神主から獅子舞を習得して帰り、 この舞を教え、郷社山王大権現の神 前に奉納した。これがその始まりと いわれる。

【北又獅子舞(きたまたししまい)】

北又獅子舞
 今から約160年ほど昔の文政年 間、大橋家の祖先2代目甚兵衛が東 北遊行のため秋田におもむいた祈、 孫の土産にと山車人形を買い求め、 獅子舞を習得して帰った。その後、 集落の若者にこの舞を教え、近くの 貴船神社に伝わる神楽に合わせて獅 子舞として完成された。


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