つきだて−社会科しりょう−-058/067page
(2)ちくさんをさかんにする。
養(よう)さんとともに古くから、月舘町で行われてきたものの一つにちくさんがあります。
ちくさんとは、牛、ぶた、めん羊(よう)、にわとりなど育て、人々の生活に利用することです。月舘 町ではどのようなちくさんが行われていたのでしょう。
下手渡に、伊達郡にめん羊を広めた人々の記念ひ が建っています。昭和9年に建てられました。
明治時代から大正時代の農業は、たいひが肥料(ひりょう)の 中心でしたが、それだけではまに合わず、金肥(きんぴ)( 化学肥料(かがくひりょう)のこと…お金を出して買う肥料のためこうよばれた。)も、しだいにたくさん使われるようになったのです。
そこで、なんとか家ちくのふんにょうを利用し て、たいひをふやしたいと考えた人々が、めん羊を 育てることを思いつきました。佐藤五郎、佐藤ユ一(しんいち)、坂本稀三(きぞう)、熊坂六郎兵衛(くまさかろくろうべえ)らは、大正9年、千葉県からめん羊数頭を買い入れ、共同で育てることを始めました。
当時、日本では羊毛(ようもう)を輸入(ゆにゅう)にたよらず、国内でも生産をふやそうとしていました。めん羊をかうことは、国の方針(ほうしん)に合うだけでなく、羊毛や羊肉(ひつじにく)を売って農家をたすけることにもなるため、下手渡に「小手郷畜産組合(ごうちくさんくみあい)」の事務所(じむしょ)を置き、増産(ぞうさん)につとめたのです。
現在では、羊毛をとるためにめん羊をかっている農家はなくなりました。どうしてなくなってしまったのか調べてみましょう。 月舘町のちくさんとしては、御代田、糠田、月舘、上手渡で、にわとりをかっている農家があります。