月舘町伝承民話集 -005/200page

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野  花

― 戊辰の戦に敗れて間館で死んだ無名戦士の霊に捧ぐ ―

 その日は雨が降っていた。朝から降ったりやんだりの初秋の気まぐれの雨だった。仙台藩兵が掛田から御代田を通って下糠田(今の月館)から下手渡攻撃に向ったのは昨日の朝であったのに、破竹の勢で針道・川俣方面から北進する阿波藩や柳河藩の兵は小島に到着したとのしらせが刻々と月館あたりに伝わって来て、村人たちの間には不安と動揺がみなぎっていた。時は慶応四年八月なかばの事である。

 掛田の三乗院に本陣を構えていた仙台藩兵は、およそ一千人といわれ、その大半は下手渡陣屋攻略に動員されていたらしく、引っ切りなしに状況報告の兵が御代田や月館の街道を通り過ぎた。そしてその頃は御代田・月舘・下手渡は全く戦場と化していた。八月十四日、仙台藩兵数人が御代田村の名主を捕え掛田に送った。農家の人々は難を避けて山の方へのがれて、知人や親戚をたよって土蔵などにかくれた。

 夜になった。下手渡藩兵数十人と仙台藩兵百名ばかりが前柳部落を挟んではげしく発砲し、下手渡の兵は劣勢のためやむなく後退した。仙台藩兵にはわずかではあるが負傷兵が出た。そして部落の農家数軒に火をかけていったん掛田に引き揚げて行った。雨はひとしきり強く降り出した。ずぶぬれになって両軍の兵が闇の中に消えて行ったのは、午後の九時頃だった。御代田間館の高野家の裏戸を強くたたく音がしたのは、夜も深くなった十時頃だった。高野吉四郎どんの家では、もう寝ようかと思う時だった。裏戸をたたく音が、強い風のうなりにも増して聞こえた。老夫婦はそっと裏戸をあけると、血まみれになった若いさむらいが、


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