月舘町伝承民話集 -006/200page

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たおれ、そこにうずくまっていた。
さむらいは、まだはたちにもならないやさしい若者だった。
先程の前柳の戦で負傷したのだった。高野老夫婦に助けられた時は、全身血だらけで泥まみれになっていた。
相馬の方へ逃げようとして深沢の方から間館の方に向ったが夜のやみでよく見えなく、足と胸にうけた傷口からは血がとめどなく流れたのか、顔はあお黒くなって満足に口もきけなかった。
彼は仙台藩兵には違いなかったが、名前も両親の名も住所も話すことが出来なかった。出血多量と極度の疲れから危篤状態に陥った。
老夫婦はこの若者を温く介抱した。傷口をおさえたり、からだをぬくめたりして何とか元気にしてやろうと努めた。
若者は銃も剣も持っていなかった。逃げる時、途中どこかに落としてしまったらしかった。
やがて目を開いたと思うと母をかすかに呼ぶ様に「ハ……ハ…」と呼びつづけたまま、にっこり笑うように安らかに目を閉じて死んでいった。
高野夫婦はこのさむらいのいじらしい様子にたまらなくなって声をあげて泣いた。「此の若さで……見知らぬ土地で…母を慕いながら死んでしまうとは……」老夫婦は両手を合わせて死骸に合掌した。
そしてこのことは誰にも話すまいと思って裏山にこっそり葬った。くぬぎ林のへりに人に知られないようにして墓をたててやった。
若者が高野家にたどりつくまでは道なき草山を分け入ったらしく、彼の着物には野花のぬれたものがどろと一しょにいっぱいついていた。
名も言わず、住所も年も語ることの出来なかったこの無名の若武士のことは誰も知らなかった。
その後、小国の行人田や掛田の陣場で激戦が起ったのは、それから2,3日後であった。仙台藩兵はついに掛田の三乗院から完全に撤収して北へ敗走したので、ようやく戦斗は終った。
あれから百年を経たがその若侍の墓はあの時のままになっている。
また身寄りがあったのか無かったのか誰も墓参に来たこともない。


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