月舘町伝承民話集 -034/200page
え、ある晩、旅僧にたくさん酒をのませた。旅僧は心から喜んで愉快そうだった。そして高いびきをかいて ぐっすり寝こんでしまった。三人のだんなたちは、この時ばかりと準備しておいた丸太を持って、めちゃく ちゃに旅僧をなぐりつけました。旅僧は抵抗も出来ず、とうとう死んでしまった。
三軒の農家の人たちは、ほかの部落のの人たちにわからないように部落はずれの畑のすみに旅僧の死体を埋 め、その真の上に玉椿の木を植えた。それから三年すぎたある日、この部落に流行病がはやり出した。どの 家でも女と子供がこのはやり病気にかかり、みんな高い熱を出して薬をのんでもなかなかなおらなかった。 その時、よその部落にもこの重い病気が流行したが、この椚塚部落の人たちより軽くなおった。村では誰い うとなくこの流行病は旅僧のたたりだろうといううわさがたった。そこで椚塚ではさっそく旅僧の供養をし て、周防明神として部落の丘の上に祀りねんごろに弔うことにした。すると、間もなくこの流行病はなおっ て部落には平和の日が戻って来た。しかし、また間もなくこの部落には火事が起きたり、もめごとが起きた り、何年も何年も不幸が続いた。そこで三軒の農家の人たちは相談して、この部落を引払ってよそに移るこ とになった。そして合同して茂林寺の住職にたのんで先祖の霊を盛大に供養し、永年住みなれた椚塚に有縁 無縁供養碑を建て、よその地へ去っていった。
昔の細い山道のかたわらに寛政三年六月弥源右衛門と書かれた供養碑がさびしく残っている。今は広々と した桑畑が限りなく続いて、石田の方へのびている。丘の上の周防様の石の祠がさびしく夕日に照らしつけ られている。旅僧の墓だったところには玉椿もなくなって、二百年前のこの部落の出来事も忘れたかのよう に静かである。