月舘町伝承民話集 -037/200page

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巫 子(みこ) が 渕(ふち)

 下手渡の蟹沢の部落の前を流れている広瀬川に巫子が渕という川水の深いところがある。土地の人々はこ こを巫子が渕といって悲しい物語を伝えている。今からおよそ五百年位前のこと、北作主膳というさむらい が常陸国からこの村にやって来て百姓たちに蚕種の製法等を教えてくれた。そのころ下手渡は大変困ってい て村は貧しく、村人は食うのにさえ事欠くありさまだった。そこで北作主膳はこれは神のたたりだろうと思 い、裏山に雷神・風神・水神・火神など八百萬の神を祀り祈祷し続けたが、悪い天候が重なって来る年も来る年も稲作はうまくいかず、村人の願いはむなしく暗い生活を続けるばかりだった。そこで、主膳はこれは神の怒りによるものだと考え、毎日神に祈り続けた。ちょうどその話をきいて、神信心のあつい一人の村娘の巫子が主膳を助けて朝晩一緒にその仕事にはげんだ。そして一年程月日は過ぎた頃、ようやく稲穂も実り 明るい希望がこの村に見えて来た。

 そのころ、この娘は主膳の子供をみごもっていた。そしてこのことは村の人たちのうわさにもなり、村の 大さわぎとなった。娘は親にも兄弟にも何もいわず、一人で毎日毎日考え込んでいた。そして、泣いている 日が多かった。あるあらしの晩、娘はこっそり家を抜けだして広瀬川の岸に立っていた。主膳の家のあたり にぼんやり灯が見えた。主膳は一生けんめい神に祈りをささげていたのかも知れない。娘は主膳の家の方を むいて別れの言葉を何度もくり返した。あらしが止んで月が山の上から出た。娘は心で親や友だちや村びとたちに 最後の別れを惜しみながら蟹沢の岸辺から広瀬川の流れに身を投じた。そしてはたちのいのちを断った。


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