月舘町伝承民話集 -042/200page
その時、渡世風の男が瓜を売る親爺から少し離れたところで「皆さん、私が今瓜を作って御馳走するから 見ていて下さい。」といいながら、懐中から瓜の種を出した。その種を地面に置いて土をかぶせ扇でパタパタあおぐと芽が出た。サア延びろ延びろ、パタパタやると、蔓はドンドン延びる。ソレ摘芯だ。見る見るうちに四方に延びて花が咲いた。瓜がなった。見る見る瓜は育つ、何十となく見事になった、瓜は見る見る熟して来た。「ソレ、皆様食べてみさっせェ。どうだ甘かろう。お客人ハイ。お前さんもハイ。」と出来た瓜を集まっ た人たちにみんな御馳走してしまった。この不思議な光景を先刻から気をとられて見ていた甘瓜売りの親爺 が気づいた時には、ポテ籠の瓜は一ッも無くなっていた。犬飼の嘉作さあだった。
3、ある日、嘉作さあは田の草とりの人たちに逢っだ。何か嘉作さあ、面白い事見せてクンネェか。何もそだに面白い事ってあんめェ、といいながら、キセルの吸がらをボンと手の平に受けてヒョイと田の中に投げた。ところが不思議や煙草の火は青々と生育した稲にもえうつり。次から次へ田一面に燃え広がり皆枯れてしまった。皆は驚きかつたまげた。いつの間にか嘉作さあはいなくなって田はそのまま青々と生育を続けていた。
4、嘉作さあは歩いているときでも、笠を胸に当てると落ちなかった程早足だった。一晩に仙台まで法事の 饅頭を受取りに行って来たとか、ある人には七間(12メートル)高さ十間(17、8メーター) の石垣を 一晩に作ったとかいい伝えられている。
5、こうした幻術的な行動が、当時の幕藩体制下にあって天領私領を問わずおそれられたことであろう。或 いは天領の代官藩領の掛り役人を通して村名主村役人等に目に見えない圧力があったのではなかろうか。
兄が二ッ玉をこめてうったその一ッの玉は右手に握って居たとか、一弾は口中に食わえたまま二弾目で殺