月舘町伝承民話集 -047/200page
大萱城祉と鞍掛山
月舘字三拍子の奥に大萱という所がある。昔田代信義という武将がここに館をきずいて、居城にしたとい われている。信義の祖先田代信綱は、頼朝の家臣で建久三年平家追討の時は、一方の旗頭として武勲をたて武 将として歴史上有名な人だった。信義も先祖の血をついで豪雄とし.てうたわれ、北畠顕家が霊山城に籠って 南朝の為に戦った時、いち早く義兵をあつめ近くの鞍掛森で愛馬に鞍掛けて出陣し、顕家のもとに馳せ参じ たといわれている。その後、信義の子孫は小島田代に住みつき、農業にはげんだといわれている。大萱城は 小屋館ともいわれ、規模も大きく、当時の戦には攻めるにむずかしく守りに堅い館だったといわれている。
田代信義の子孫が田代に去ってから、その臣下であった菊地氏が大昔の館に住んでいて、大農として生活 しておったという。菊地藤兵衛は、やしき内に石の氏神二基をまつり、鳥井田全部の耕地を自作し、下糠田 村(今の大字月舘)でも1、2を争う豪農としてはびこっていた。しかし、その子孫に災難が続き、遂にこ の地から他へ移って行ったとのことである。今、菊地家の邸宅跡には石垣と先祖累代の墓石が華やかだった 昔の姿をのこしている。