月舘町伝承民話集 -056/200page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

呼ばり石は知っている

 三拍子の入口に呼ばり石という二つの大岩がくぬぎ林の中に立っている。今から六百年程前の南北朝時代、 霊山城にこもった征夷大将軍陸奥守北畠顕家の家臣に手渡八郎義為という強いさむらいがおった。八郎は手 渡の舘山に館を築き、近隣の北朝方の敵軍を散々なやまして武勲をたてたが、その後顕家卿に従って西上し 摂津国阿部野の戦でついに敗れ、堺浦の近く石津で顕家卿が戦死したのを見届けた。この様子を霊山城に残 っていた顕家の奥方に知らせようとはるばる遠路ふるさとの手渡までたどりついた。しかし、その時霊山城 は既に敵将吉良貞家の大軍にかこまれ、城内の残兵を散りぢりに落ちのび行方さえもわからない。八郎は奥 方の行方をさがして、霊山より南方布川入から細布までやって来た。しかし逃げのびた奥方たちの一行には ついにめぐり合うことができなかった。八郎は疲れたからだを横たえ、今後どうしようかとつくづく考えた。

 顕家夫人に従って、八郎の恋人八重野もこの落人一行に加わっていたに違いなかった。八郎は、傷ついた からだをこの石の上に運んだ。そして八重野を声限り呼んだのである。

 「オーイ八重野!!八郎が帰って来たぞう!!」

 「奥方はどちらですか!!八重野も無事か!!」

 何回も何回もこの石の上に立って呼びかけたが、ただ空しく山彦が響くばかり、何の答えさえもなかった。 八郎は涙ながらに呼びつづけていだが、声も枯れのどから血がほとばしり、つばをのむことさえ出来なくな った。今はこれまでと覚悟し、自からこの岩上に若い生命を断ったのである。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は月舘町教育委員会に帰属します。
月舘町教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。