月舘町伝承民話集 -076/200page

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門松を立てないお正月

 これは、上手渡部落の或る旧家に伝えられてい生今から640年前の話しである。

 時は、後醍醐天皇の頃元弘元年(西暦1331年頃)南北朝の戦いに、上手渡から石川掃部頭(ほうきのかみ)時房という人 が新田勢に加わり、笠置山に出陣をした以来59年間にわたって、大小の戦いが続いたという。そして、 さしものこの長い戦いも元中九年(1390年頃)に終り、時房はこのとき出羽国本道寺で終戦を迎えた、 時房とその郎党は望郷の念止み難く、なつかしいふるさと、はるかなる陸奥国上手渡をさして出発した。と きはまさに春たけなわであった。出陣時の若武者も、今は既に翁の面をしていた。道中秋も過ぎ、そしてよ うよう上手渡の地に着いたときは雪の降る元中9年の大晦日の深夜であった。このようなことで何の御馳走 もなく、門松を迎える準備さえないまま元旦を迎えることになった。

 時房は、苦しかった長い長い戦のことを偲びながら、なお無事で帰ったことを記念し、これを子孫にも永 く伝えようと郷党とともに誓い合い、それから六百余年過ぎた今日でも未だに門松は迎えるが立てない風習 となって今日まで伝えられている。


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