月舘町伝承民話集 -078/200page
った。こんな小さな蛙ではあるが、その数も数万、しかも死にものぐるいの声を挙げ、入り乱れての戦いで あって、見る人々をして、慄然たらしめたことは確かである。さしものすさまじい戦いも、一昼夜にして 終るが、その後には死屍累々とし、死臭また鼻をそむけまさに凄惨そのものであったという。人々は、いか に子孫を絶やさぬための雌を求めての戦いとはいいながら、これ程までして戦わねばならないのか、この合 戦で田畑を荒されたことよりも、蛙同志が戦わねばならぬ宿命の因果関係に、むしろ胸の痛む思いをしたという。
土地の人々は、昔古戦場であったところには、他の地方にもこれと似たような話しで螢合戦とか、蟹合戦 などもあるということを聞き、それではこの地にも昔そのようなことがあったのではないかと疑念をもち、 早速法印により加持祈祷を行なった。しかし依然として毎年この「蛙合戦」はくり返された。そこで名主市 郎兵衛は、何か怨霊のいたすところであろうと、土地の人々とともに、高さ四尺、幅一尺三寸の碑に「南無阿弥陀仏」と刻み、これを古戦場であった傍の大石の真中に建て、お経を唱え鉦をたたきながら死霊退散と 蛙霊の追善供養を行なったところ、その年からこの合戦はピタリと止んだという。
月舘から糠田を通るバス停留所に金石があり、その真下に十人以上楽に座れる平らな巨大花崗岩石があり、 その真中に碑が立っているのが、この話の蛙の霊を弔った供養碑である。また、その供養のときに鉦をたた いたことに因んで「金石」の地名が起ったともいわれている。