月舘町伝承民話集 -161/200page

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魔 術 師 の 末 路

 天明年間のころ、どこの生れでどこから来たのか、犬飼嘉作という若者がいました。魔法使の術を研究し ていた彼は、いろんなことをやって村人を驚かせていました。部落の人はもちろん石田・御代田・月舘・川 俣などよその村の人たちまで、嘉作の話を聞いたり、魔術を見に来る人が毎日のように集まって来ました。 嘉作は特別の大男でもなく、普通の人と変ったところはありませんでしたが、術を施すと全く別人のように なって人びとを驚かせました。一升びんの中にかくれて見たり、一晩のうちに稲田を刈り取って見たかと思 えば、またあしたそのままの姿の稲が田んぼに実ったままになっているのでした。石垣をくずしたように見せかけてちゃんと石垣を積み上げて置くようなことを、しばしば村びとの目の前で行うのでした。ある時は 朝飯前に法事の饅頭を取りに仙台まで行って来たこともありました。今から考えて見ると、魔法使というか 手品使というか、とにかくだれにも出来ないことを平気でやってのける若者でした。

 村の人びとは、嘉作がどこの国からやって来たのか、ほんとうはどこの生れで、なぜ犬飼にやって来たの か知っている人は全くいませんでした。彼は精力的に仕事をやりました。他人がいやがることを進んでやっ てのけました。村の人たちはみんな嘉作を珍しく思いました。そして、だれもが親しみをもって彼の術のと りこにされていたのです。天保4年7月の暑い日でした。彼は石田の友だちにお金を貸しておいたので、催 促に出かけました。しかし、その友だちはうそばかり言って嘉作に返そうとはしなかったので、嘉作は今日 はどうしても取り返して来るという考えで出かけました。石田の友だちは、嘉作を六杯内の野原に誘いまし


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