「ふるさとの小径を行く」 -001/168page
御田代の重鎮
殿城館跡と前柳館跡御代田、前柳の北西にある小高い山に殿城館という字名が残っていますが、この附近一帯が館跡です。
館主は、北畠顕家に従って下野国から来た大河内四郎左衛門春光の子春長といい、北畠正教公に仕えて小手庄内に二十五貫文を給せられていました。春光は、北畠顕家卿とともに延元三年に討死したと伝えられます。なお、大河内氏は後に懸田氏に仕え、慶長年間には大川内藤次郎が小手六十三騎の一人として記録に再登場します。藤次郎は、慶長五年の藤田・桑折の激戦で戦死しますが、子孫は永くこの地に栄えました。
当館は、高台にある二十八アールほどの土地で、空濠や馬返しの一部が残っており、館の規模の大きさを今に伝えています。
殿城館の北、谷をはさんだ山頂近くに、前柳館跡とも呼ばれる桃畑があります。小手六十三騎の一人、二百石の渋谷助右衛門の居館であったといわれます。 渋谷家は、その後梁川町堰本に移りました。