「ふるさとの小径を行く」 -036/168page
手渡氏の居城
館山城跡下手渡の八雲神杜から右手へ急斜面の小道を登り、杉林を通りぬけると、お盆をふせたような小高い平らな山があります。そこが館山城跡といわれるところです。
ここからは、月舘町が眼下に見え、遠く川俣も望むことができます。規模宏大にして約一万坪(三・三ヘクタール)、本丸、ニノ丸、三ノ丸を設け、外濠、内濠の空堀の跡とみられるところが今もはっきりと見ることができます。
城主は手渡八郎義為であるといわれています。手渡八郎は、建武四年(一三三七)に北畠顕家が霊山にたてこもったとき、寄合衆の一人として「霊山武鑑」の中に「伊達手渡城主」と記されている人であるとされています。
手渡八郎は、顕家に従って大阪の近くまで長征して最後まで戦い、顕家戦死した後は単身帰郷し、霊山の落城によってちりぢりになった妻子を探し歩いたあげく呼石の上で果てたといわれています。手渡氏についてはその後わかりませんが、伊達政宗によって亡ぼされた手渡周防守宗成はその子孫であろうとみられます。