「ふるさとの小径を行く」 -119/168page

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上手渡羽山信仰の中心として、行屋と関係づけて地域の人々に崇拝されてきたものです。創建のいわれなどはわかりません。

 火伏せの神、秋葉様と羽山様とを合祀して秋羽山という呼び方も珍らしいものといえましょう。

 境内には、古峯、猿田彦(嘉永六年(一八五三)の石碑のほか、百庚申の石塔があります。明治時代に地元の青年が、下を流れる川より石を拾いあげて彫ったものと伝えられています。百庚申熱の盛んな時期があったものと思われます。

道下山の行屋跡

上手渡三番組公民館の真向いの山すそ、字道下山五番地の約十五坪の窪地がかつて行屋があった所です。

 当時の建物は、間口四間、奥行き三間、正面に入口二か所、側窓一か所、総壁づくり、萱葺き屋根で、上方六坪に床が張ってあり、六坪の土間に大きな炉がありました。

 正面には神棚をまつり、麓山神社の大御幣が祀られていました。祭神は麓山祗命です。勧請年はわかりませんが、延享四年(一七四七)の棟札もあるのでそれ以前であることは確かです。

 字羽山六番地の山頂に聳える大石が勧請の地といわれています。後に、玉久保山に鎮座まします秋葉神社と並び祀られるようになりました。

 羽山籠りは、旧十一月十五日(油〆の十五日)に行屋に籠り、斎戒沐浴、早朝に川水を浴び、神前に五穀豊穣、氏子安全、病難消除を祈願、更に羽山がけと称して、前日搗いた餅を頂上の社前に奉じて祈願し、帰った後にまた沐浴をするならわしでした。

 また、お伊勢参りや、奥三山詣の際は、出発前に精進潔斎をするところであり、また、留守居の人たちもまた行屋に籠って待行(まちぎょう)を行なったところでもあり、部落の信仰の中心でありました。


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