「ふるさとの小径を行く」 -129/168page
寺の境内の南に、下手渡藩主の墓碑が三基と童子と最後の藩主種恭侯の墓標と、一段低いところに藩主と対侍する形で建てられた藩士の墓石があり、これを侍墓地と呼んでいます。
藩侯の墓碑はいずれも笠を戴き高さニメートル近い御影石のものです。向かって左より、
龍潭院殿従五位下立花種周之墓
文化六己巳歳十月十五日卒享年三十有九
真巖院殿従五位下立花種善之墓
天保三壬辰歳十二月二十三日卒享年三十有九
円融院殿従五位下立花種温之墓
嘉永三戊申歳十月十七日卒享年三十有八
最後が真禅自性童子の碑です。種恭侯の墓標は木柱です。種周侯から種恭侯までいずれも江戸で亡くなられ、江戸に埋葬されました。藩士の墓碑のほとんどは藩主に向かうように建てられ、死後も忠誠を尽す心を表わしていると言われています。なお、南家の墓碑は後年建て直されたので向きが変わっています。
大位牌及び墓地は、数少ない下手渡藩ゆかりのものとして昭和四十四年に町の重要文化財に指定されています。