「ふるさとの小径を行く」 -128/168page
の、明治三十五年九月二十八日の大暴風により全堂倒潰し、また仮堂に戻って今日に至っています。
この地に下手渡藩の陣屋があったときは、当寺を菩提寺とし、国印草高十五石を給されていました。
大位牌と侍墓地
耕雲寺の寺宝の一つに、高さ一五〇センチ、幅八○センチ、重さ二〇キロに及ぶけやき製の大位牌があり、七百余名の名がぎっしりと記されています。これは、立花一族一門の先祖である高橋紹運が豊臣秀吉の島津討伐のときに先鋒となり、九州の大牟田市、宝満岩屋にて島津勢と戦い、篭城の末全員戦死しました。芳名を千載に残した武士達を慰霊顕彰するために造ら.れた大位牌で、九州より運ばれたものといいます。