「ふるさとの小径を行く」 -133/168page

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高原藤兵衛の開拓記念碑

高原藤兵衛の開拓記念碑

 御幸山のテレビ中継塔への道沿い、桃畑が尽きようとするあたりの杉林の中に、「高原藤兵衛開拓記念碑」と彫られた自然石がひっそりと立っています。

 翁は、慶応年間に名主をつとめ、引退するや御幸山の中腹を開墾して桐山にするという一大計画の実現に着手し、業半ばにして没したといいます。もし完成していれば、御幸山は桐の美林をまとった宝の山になっていたことでしょう。

 杉林になっているあたりは翁の居宅の跡で、南西の一隅にある土盛りは、泉水の中の島であったといわれています。テレビ中継塔への道路改修によって射弓場は壊されましたが石垣の一部がみられます。また、ここより東へ下る小径には石垣がかなり残っており、そのはずれには観音堂もつくる予定であったとかで僅かな平地ときざはしらしいものも見ることができます。道の南側に伸びる平地は馬場跡と伝えられています。

 屋敷跡を一巡しただけでも翁の気宇の壮大さがしのばれます。現在でも開墾をするには難儀をするであろう山中に、巨額の私財を投じて桐の植林という気の長い事業に着手した翁は、月舘の開拓史の中でも忘れられない人と言えましょう。


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