あだち野のむかし物語 - 017/037page
糠依姫(ぬかよりひめ)と糠池(ぬかいけ) 白沢村およそ千四百年前の昔、敏達(びだつ)天皇の皇女(こうじょ)に糠依姫という人がおりましたが、その陵墓(りょうぼ)である糠沢古墳が糠池(ぬかいけ)の中央にあります。そこを往来する人々が礼拝(らいはい)し額(ぬか)ずいたことが糠沢の地名の発祥(はっしょう)であるといわれています。
また一説には、糠依姫は毎日、近くにある糠の油のようなものが出る池で髪を洗うのが日課になっていたといいます。糠の油のようなものが出る池というので、その池は「糠池」と呼ばれていました。
その後、ふとしたことから糠依姫は亡くなってしまいましたが、糠池の中央に丘を作り、身に着けていた物なども一緒に埋葬(まいそう)しました。これが糠沢古墳であると言います。今も中央部に塚が現存しています。高さは約二メートル、直径は約三メートルです。石碑もありますが、長い年月を経ているためか、残念ながら風化して文字を読み取ることはできません。
付近の桑畑などからは、土師器(はじき)や須恵器(すえき)、石鍬(せきしょう)や石器(せっき)なども出土し、一帯は縄文時代(じょうもんじだい)から古代までの複合遺跡であるといえます。