あだち野のむかし物語 - 018/037page
稚児舞台(ちごぶたい)悲話 東和町・安達町この話は、いまから約九百五十年ほど前のこと、安倍頼時が国司に従わず、奥州で前九年の役(永承(えいしょう)六年・一〇五一)が起こったときの話です。
陸奥守(むつのかみ)兼鎮守府将軍 源 頼義(ちんじゅふしょうぐんみなもとのよりよし)に従い、安倍(あべ)氏征伐にきた八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)(源義家)は、岩山のある阿武隈川の東岸に陣をとり、岩蔵・島山の険(けわ)しい場所に白旗をなびかせました。
一方、奥州の豪族安倍氏らの軍勢は、城とも見える大きな石を前にした岩の上に陣を敷き、対峙(たいじ)したのです。相対して戦うこと数十日は、毎日激しい弓矢の合戦が繰り返されておったのです。
阿武隈川の逆巻(さかま)く激流を前に攻防は持久戦に入り、敵の兵も味方の兵たちにも疲れが見え始めていました。そんなある日のことです、東岸の絶壁に立って源氏の兵どもが
「おい、安倍一族よ、奥州でこそ豪族だと威張っているが、礼儀も行儀も知らないやつらだ。おおい、よく聞け。今は京の都ではな、稚児でさえ舞を舞うようじゃ。お前たちの陣は、こちらから見ればまるで舞台のようだ。悔(くや)しかったら舞って見せよ。」
とはやし出したのです。一族の長(おさ)・安倍貞任(さだとう)はこれを聞いて激怒、敵の前に嫌がる二人の娘を、稚児の姿に装(よそお)いたてて舞台とも見える岩の上にあげ、舞いをまわせたのでした。
時は四月、辺りは伸びはじめた松の緑、銀の糸をなびくようにも見える雪柳の花。薄紅色に咲いた桜が映え、戦いなど忘れてしまったような平和な美しさでした。