あだち野のむかし物語 - 028/037page

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二本松城(霧(きり)ヶ城(じょう))救援の大雪と亡霊
   
 
二本松市

 畠山義継公(はたけやまよしつぐこう)が、平石(ひらいし)の「粟(あわ)の須(す)の戦い』で伊達政宗(だてまさむね)に敗れ、二本松勢はいよいよ籠城戦(ろうじょうせん)となりました。

幼主を中心とした城兵は、錦(にしき)の御旗(みはた)を城中の大松の梢に立て、安達太良明神(あだたらみょうじん)・薬師十二神将(やくしじゅうにしんしょう)・将軍地蔵尊(しょうぐんじぞうそん)に「怨敵退散(おんてきたいさん)」を祈ったところ、不思議にも晴れ渡っていた冬空は一天俄(にわか)にかき曇り、安達太良山より黒雲が湧き出て城を覆い、雪も降り始め、西の強風が吹き荒れてとうとう大雪になりました。

政宗は、本陣より平石高田城を仮陣屋として戦いに備えておりましたが、寒さはますます厳しく、凍えて弓矢を取ることもできず、ついに伊達勢は小浜の本陣に引き揚げてしまいました。

 翌年、畠山家の領民は食料持参で老若男女を問わず籠城に入りました。二本松城兵は、「日中は敵は絶対に攻め込んで来ない。」との確信はありましたが、夜間は不安だと考え、指揮の大将・新城弾正(しんじょうだんじょう)が奇策を立て、五人か六人の兵に、竹の先に火を点けたのを持たせ、山の上から下にと、夜ごとに城中を歩かせました。これを見た伊達勢は「義継の亡霊が出た」と噂し合って戦意を失ったといいます。また、伊達勢は二本松に多数の援軍が来たと勘違いしたともいわれています。

 落城間近になって、一部の箕輪館(みのわだて)にいた畠山勢が急に寝返ったとき、二本松城中にあった錦の御旗の辺りから、蛍火のような光が十灯ばかり群がって飛び出したといいます。「あれよ、あれよ。」と見ているうちに、その灯は箕輪館の方へ向かって飛んでいったと見る間に、炎が吹き出し、たちまち灰燼(かいじん)と化し逆賊は滅亡したそうです。

 戦国時代の数ある戦争で一年九か月の持久戦は珍しく、落城が長引いた原因は、この大雪と亡霊の救援であった、とも伝えられています。


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