先人の偉業 戒石銘の精神に学ぶ -022/024page

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7. 歴史年表(戒石銘の位置づけ)





二本松のおもなできごと 日本のおもなできごと 世界のおもなできごと
縄文・弥生時代における当地のありさまについては、市内の原瀬上原遺跡や塩沢上原遺跡が発掘され、多数の土器などの出土から、約4500年前にすでに人間の営み(集落形成)があったことが判明している。 狩猟・漁撈・採集の生活が長く続く    



   



大陸から、稲作、金属器が伝わる    

 

 

 




    大和朝廷の統一がすすむ
大陸文化の伝来(漢字・儒教・進んだ技術)
375 ゲルマン民族の大移動始まる

    645 大化の改新が始まる    
    701 大宝律令が制定される    

718 むつの国が分かれて、いわせ・いわきの国ができる        
780 万葉集に「あだたら」の名がみられる        
    794 都を京都(平安京)に移す    
        唐の文化が全盛となる

843 この地方の有力者こまのみやつこおしまろの一族が姓を改めて陸奥安達連(むらじ)となる     イスラム文化がさかえる
905 古今和歌集に「阿武隈」の文字が見られる 905 古今和歌集ができる    
906 安積郡より分かれて安達郡ができる     ※中国のようす

○後蜀の君主・猛昶により、戒石銘の原典戒諭辞あらわされる















○君主・太宋が戒諭辞より四句十六字を抜き出し戒石銘とする

○君主・高宗が太宋御製の戒石銘を石に刻ませる
このころ養蚕が行われる
    1016 藤原道長が摂政となる
1151 安達の庄ができる
       

1205 新古今和歌集に「安達原」がうたわれる 1193 源頼朝が鎌倉に幕府を開く

    1338 足利尊氏が室町幕府を開く    
1340 畠山高国が奥州探題として塩沢田池ケ岡に館をたて入る        

    1404 足利義満、明との勘合貿易を始める    
1413 畠山国詮が奥州探題として霧ケ城を築き二本松に入る        
1415 畠山光秦が白旗ケ峯(今の城山の頂上)に霧ケ城を築く        
    1467 応仁の乱がおこる    
    各地で土一揆がおこる    
        1558
○戒石銘碑を湖北省・京山県庁門前に建立する
1586 霧ケ城落城する 1586 豊臣秀吉太政大臣となる    
1590 蒲生氏郷が二本松城代となる 1590 豊臣秀吉が全国を統一する    





二本松領の検地をする        
豊臣秀吉が会津に入る        
1594 氏郷領内検地をする        

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