安達町町勢要覧 -013/032page

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ここは智恵子の生まれたふるさと、 ほんとの空の原点がここにあります

明治19年(1886)、地方随 一といわれた 大きな造り酒 屋の長女とし て智恵子は安 達町に生まれ ました。高村 光太郎の詩集 「智恵子抄」 に詩われた智 恵子は、光太 郎との純愛に 生きた女性として、今でも多くの人びとの共感 を得ています。一方で、日本ではじめてのグラ フィックデザイナーという一面も持っており、 数多くの素晴らしい作品を残しています。光太 郎との愛、芸術にかける情熱。明治から昭和と いう変わり行く時代の中にあって、智恵子は激 しくも純粋に自分を貫いた女性でした。

智恵子が愛し、心の拠り所としたのが「ふる さと・安達」 です。7人の弟妹とともに何 一つ不自由のない少女時代を過ごしています。 地元の油井小学校に通い、図工をはじめ学問に ずば抜けて優れていました。15歳で福島高等女 学校に入学、そして17歳で単身上京し日本女子 大学に入学します。聡明な智恵子は、女学生時 代から静かな物腰の中に芯の強さを持ち、やが て自らの可能性を拓きはじめます。

当時の女性としては珍しい油絵の作品や雑 誌「青踏」の表紙デザイン、さらに智恵子 が晩年、病に冒されながらも製作した紙絵など、 高い造形性を持ち、自由で豊かでやさしく、時 にユーモラスでさえある作品を数多く遺してい ます。また、智恵子が遺した散文や講などの書 簡は、絵画とは違った智恵子の内面の心情や苦 悩をも照らし出しています。

智恵子の生家は町が復元し、智恵子が暮らし ていた当時の佇まいを呈しています。旧国 道沿いに格子をめぐらせた二階建ての生家は、 かつて造り酒屋が新酒の醸成を伝えたという杉 玉が下げられ、今にも威勢のよい商いの声が聞 こえてきそうです。

智恵子と光太郎

智恵子の生家
智恵子の生家

雑誌・青踏
雑誌・青踏

智恵子の紙絵
智恵子の紙絵

智恵子の紙絵
智恵子の紙絵

智恵子の油絵「静物」
智恵子の油絵「静物」


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