社会科副読本第3・4学年 わたしたちのきょう土 おおたま - 067/129page
(二) 村の二つの小学校のうつりかわり
さむらいが世の中を治(おさめ)ていたころ(江戸時代)には、少しの人しか学校(寺小屋)に行けませんでした。大玉村にも百二十年ぐらい前に学校がつくられました。どの学校もさいしょは、お寺や民家(ふつうの家)をかりていました。村では学校をつくるのにたいへんなお金がかかりました。
むかしの玉井小学校も、そのころお寺を借(か)りて学校としました。学校へ通(かよ)う児童は、たいへん少なかったのですが、だんだん多くなり、せまくなったので、大きな学校がたてられるようになりました。校しゃも、今のようでなく木ぞうでせつびもととのっていませんでした。そのころは、きものをきて、げたやぞうりをはき、ふろしきに本やノートをつつんで通いました。家のしごとの手つだいがいそがしいために、学校へ行けなかったり、赤んぼうをせおっていくこともありました。