岩代町町勢要覧 -024/030page
「古の日々」
阿武隈の麓に、
幾重にも歴史積み重ねて長い長い歴史の日々がありました。
ここに一枚の絵があります。今から約150年前、江戸時代 後期の浮世絵師歌川(安藤)広重が、岩代町百目木の風景を 描いた作品です。岩代町は当時相馬・三春街道の宿場町とし て栄えていましたが、そのはるか以前から、脈々と歴史は積み 重ねられてきたのです。
たくさんの人、たくさんの出来事が、
岩代のいしづえをつくりました。阿武隈山地の西縁に位置する岩代町の歴史は、 はっきりしているもので縄文時代にさか のぼります。しかし、それ以前の旧石器時代 の遺跡が同じ安達地方でいくつか発見されて いることから、岩代町付近も旧石器時代から 養蚕や古代馬の産地として、山間の地に文化を培っていたと思 われます。
この地域は大和時 代、阿尺国に属し、 阿尺の国造の配下に ありました。また、 古くは奥州沢渡庄 とも呼ばれたといい ます。平安時代後期、 陸奥の豪族安倍頼 時父子が反乱をお こしたため、鎮守府将軍源頼義が朝命を奉じ、その子義家と 奥州に下向し追討にあたった部下伴次郎助兼が当地の鎮将と なり、東安達33郷を治めるようになりました。その後、田村氏、 斯波氏、吉良氏、宇都宮氏、石橋氏と変わりましたが、石橋氏 の頃は小浜城に大内備前、宮森城に大河内備中、百目木城に 石川弾正、新城館に寺坂信濃の四民を配し、隆盛を誇りました。