岩代町町勢要覧 -025/030page

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陸奥の国から岩代の国、そして岩代町へ。
時を経て今、悠久の昔へ思いはせる。

岩代の国

「陸奥安達百目木駅八景図」版木

「陸奥安達百目木駅八景図」版木

「陸奥安達百目木駅八景図」版木

「陸奥安達百目木駅八景図」版木(百目木 渡辺義弘氏所蔵)

 石橋氏の後は大内春継備前が 東安達を領しましたが、天正13年 (1585年)に伊達政宗父子の領 有するところとなりました。大内 備前が建てた「小浜城」は、政宗 が攻め入った際に居城したことか ら「政宗ゆかりの城」として広く 知られています。その後幾多の変 遷を経て、寛永20年(1643年) 丹羽光重入部以来、城代をおいて 治めるところとなりました。

縄文土器/壺 人面土器(中平遺跡出土)
縄文土器/壺 人面土器(中平遺跡出土)高さ6.3cm

臥龍(がりゅう)の松
臥龍(がりゅう)の松
伊達政宗の父輝宗が、丹精込めて育てた松を西念寺境内に根付かせたものです。

御前清水(ごぜんしみず)
御前清水(ごぜんしみず)
その昔、伊達輝宗の御 用水であったと伝えられ、 現在でもこんこんと水が 湧き出し、往時を忍ばせ ています。

伊達政宗/1567〜1836

米沢城主伊達輝宗の第一子として生まれた政宗は18歳で城主となり、天正13年 (1585)、小浜城主大内定綱を攻め落とします。その後政宗は一年間小浜城に 居城し、奥羽の覇者となります。岩代町内には、小浜城以外にも、父・輝宗ゆかりの 「臥龍の松」や「御前清水」などの史跡が残されています。

絵師 歌川(安藤)広重/1797〜1858

「東海道五十三次」などで知られる江戸時代後期の浮世絵師。自然を忠実に 写し、庶民の体臭で画面を引き立て、描いた土地ごとに雰囲気を備えていると言われています。 また、広重は50歳前後に奥州を旅したのですが、この北関東から東北の 旅は「百目木」以外には全く足跡がなく、「陸奥安達百目木駅八景図」は大変貴重な意味を持っています。


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