東和町町勢要覧 -039/042page

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TOWA えらかった その3
「酪農」は県内発祥の地

 昭和9年(1934)初春、県下で一番最初の酪農組 合として太田村畜牛改良組合が結成されました。東和町 は藩政時代から馬産地として名高く、また、乳牛は昭和 9年当時、太田村で40頭ほど飼育されていましたが、昭 和7年に農家の搾乳が農乳としてみとめられるようにな って組織化したものです。
 初代の組合長はアメリカから帰国して後に「牛のおじ さん」と呼ばれた斎藤二良氏(故人)で、酪農創始者の小 林昌雄氏、河野伝栄氏(ともに故人)の懇請を受けての ものでした。斎藤氏はさっそく北海道八雲から100頭 の乳牛を購入し、牛乳処理工場の必要性を痛感して森永 乳業を誘致するなど、東和町はもとより福島県の酪農発 展に大きく貢献しました。その功績は旧太田公民館の碑文に刻まれ、 木もれ日に輝きながら現在に伝えられています。

TOWA えらかった その3「酪農」は県内発祥の地

TOWA えらかった その4
「電灯」は県内で3番目に灯る

 世の中がパーッと明るくなるいいお話。
 東和に文明の光、電灯が点灯したのは、明治41年(1908)9月11日。県内では福島市、郡山市に次いで3番目で、農村部では初めてのものでした。
 なぜ、今よりもずっと不便な山間地にこんなに早く電灯がついたかというと、当時の川俣電気会社が口太川の広瀬発電所から川俣町へ電気を送電するのに針道村を経由したためで肝心の川俣町よりいち早く電灯が灯ったのです。
 記録によれば、十燭光電灯61灯が灯りましたが、不幸にも翌年の針道の大火で電灯電柱は焼失してしまいました。しかし、その後需要は増大し、すぐに電灯が復活しました。

TOWA えらかった その4「電灯」は県内で3番目に灯る

TOWA えらかった その5
「偉人」荻生天泉画伯

 町が生んだ偉人といえば、筆頭は荻生天泉画伯。有識故事を踏まえた本格的大和絵の大家として日本美術界にその名を残しています。
 天泉画伯は、旧太田村の神官の子として生まれ、幼い頃より画家を目指し、下太田小学校 − 安積中学校 − 東京美術学校と進み、橋本雅邦氏に師事。文展、帝展などで特選を始め数多く入選し、審査員も務めるなど日本画家としての地位を築き上げました。
 また、宮廷からの依頼による絵画も多く、母校下太田小学校を始め数多くの作品を故郷に残しています。
(本名 = 守俊 1882〜1946)

TOWA えらかった その5「偉人」荻生天泉画伯


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