東和町町勢要覧 -038/042page

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昔の東和もえらかった!!

新世紀を迎え、活気ある前進を続けている東和町。
”昔の東和”も多方面でがんばっていたことを知っ てましたか?そんな昔のエピソードの数々を、 タイムマシンに乗った気分で ご一緒にのぞいてみましょう。

TOWA えらかった その1
「めん羊」日本一

 明治、大正時代に 本県では試験的に めん羊飼育を行っ ていました。わが町 では大正14年(19 25)に当時の木幡 村の紺野守嘉氏と 関儀蔵氏(ともに故人)が飼育を始めたことがきっかけ で、後にめん羊王国を築くこととなりました。
 以後市場が治家に開設され、針道、太田、戸沢でも飼 育者が拡大し、各市に市場が開放され、木幡村での飼育 頭数が最盛期には1,200頭にも達して「めん羊日本 一」の村と言われるようになりました。羊毛は、主に陸 軍省軍人の被服原料として納品され、価格は輸入品より も高価でした。最高時で羊毛1頭分が当時の価格で6千 円、子羊1頭1万2千円、種畜1頭1万7千円で取引さ れていました。
 また、各家庭では羊毛を襟巻や手袋、毛布、敷物など に加工して、その多くが軍需物資として出荷されました。

TOWA えらかった その 1「めん羊」日本一

TOWA えらかった その2
「深田ジープ」で篤農日本一

 昭和10年代に、東和特有の傾斜地や小区画の田畑によ る山地農業経営に情熱を燃やし、数々の工夫で次々と改 良農機具を生み出し、農業振興に夢をかけた先人がいま した。太田字深田の菅野清一朗氏(故人)がその人です。
 氏の最高傑作は、農作業省力化のための牛を使った畜 力作業農具。その急坂運搬用牛車は「深田ジープ」と呼 ばれ、20度の傾斜地や、軟弱な水田でも威力抜群であっ たと言われています
 そして、そして、山間地農業の振興に多大なる貢献があったと して、高松宮殿下より功労を思召(おぼしめし)され、また、全国農業 コンクールで優勝して農林大臣賞を受賞し、篤農日本一 の名を冠せられたのです。
 現代の近代化さ れた農業の礎となっ たこれらの農機具は、現在も子息清一氏の土蔵に 篤農日本一の誇りとともに大切に保管さ れています。

TOWA えらかった その2「深田ジープ」で篤農日本一


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