平成14・15年度版 ふるさと郡山の歴史 -015/041page
広がる米作り
少しずつ、米作りが広がっていきました。しだいに水のえやすい場所に水田が作られるようになっていきます。川が近くに無くても、池や沼がその代わりになっていきました。今から300年前ほどには、現在の郡山市に含まれている安積郡の収穫量(しゅうかくりょう)は、約3万2千石(こく)といわれます。
約3万2千石(こく)って どのぐらいの量なんだろうね。
1石(こく)=4表(ひょう)=240kg
大槻町に天正坦(てんしょうたん)という地名が残っています。(約400年前に検地(けんち)が行われた所)
この時代は、飢饉(ききん)といって農作物がまったくとれなくて飢(う)え死にすることもありました。
米作りは、水が命
郡山には、水田が多くありましたが、常に水不足が心配の種でした。それを解決する方法として、猪苗代湖の水を安積平野に引こうとする計画がだされ、安積疏水(あさかそすい)が作られました。この工事は、1879年に始まり、苦労の末1882年に完成しました。
このグラフを見てどんなことがわかるかな。
安積疏水(あさかそすい)の役割って
すごいんだね。
13ページのクイズの答え:5-A 6-B 4-C 1-D 3-E 2-F