平成13・14年度版 ふるさと郡山の歴史 -022/041page
8 江戸時代
▲郡山宿錦絵(文九年間、安斎文子氏所蔵)これはとても古い絵だけど、見たことがあるような気がするな。 そうだ、江戸時代にはこんな絵を描いていたよね?だから江戸時代かな? とてもにぎやかで楽しそう!でも、この絵、いったいどこの様子を描いた絵なんだろう? とてもにぎやかそうだから、やっぱり大きな町なのかな・・・?
いいところに気が付いたね。そう、この絵は、江戸時代の様子を描いたものなんだ。 当時の人々の様子が、この絵からよく分かるね。問題は、どこを描いた絵かということだね。 実は絵の右下に、場所が描かれているよ。よくごらん・・・・。 そうなんだ!!この絵は、江戸時代の郡山の様子を描いた絵なんだよ!
江戸時代の郡山はいったいどんな様子だったのだろう?江戸時代の郡山の様子を調べてみよう。
▲一里担の一里塚碑江戸時代に幕府を開いた徳川家康は、全国の道路、つまり街道(かいどう)を整備するように命令を出しました。 東海道や日光街道などの「五街道」と同時に、今の郡山市を通る街道も整備されました。どこだと思いますか? 実は、旧国道4号線(今の県道須賀川本宮線)がその街道跡で、当時「松前道(俗称奥州街道)」と呼ばれていました。
▲福原の松並木
この時、街道には、江戸日本橋をスタート地点として、一里(約4Km)のことに「一里塚(いちりづか)」 を建てることと、道の両側には松を植えるように決められました。
みんなは上の写真の碑を見たことがありますか?これは、一里塚の碑で、「一里担(いちりだん)」という地名も 残っているほどです。どこにあるか探してみよう。また、松尾芭蕉が通ったことで有名な松並木が今も残っています。このように、江戸時代の郡山を通った松前道(奥州街道)のなごりは今も残っているんだ。そうだ、当時の郡山には、宿屋や酒屋、呉服屋がたくさん並んでいたということだ。みんなの住んでいる近くに陣屋、蔵場 という地名があったら、江戸時代との関係を調べてみよう。