わたしたちの郡山市-035/068page

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開拓のくろう
出身地 移住戸数
久留米 156戸
松山 17戸
高知 106戸
岡山 10戸
鳥取 71戸
二本松 58戸
会津 23戸
棚倉 25戸
米沢 10戸

全国から郡山にうつり住んだ人々は,出身地ごとに「開墾社」をつくり,力を合わせて新しい土地である郡山になれ,豊かな町をつくろうとがんばりました。
しかし,荒れた土地をたがやして田畑をつくっても,3年から5年はほとんど作物はとれませんでした。やせた土地にまく肥料のお金もたいへんでした。またうつり住んできた人々の多くは,もともとは武士だったので,田畑の仕事は近くの村の人にたのむことも多く,それらの人にはらうお金もたくさん必要でした。

おじいさん

全国各地から郡山にうつり住んできた人々の生活はとてもきびしく,住む家はとてもそまつで冬の朝,ふとんの上に雪がつもっていたということもありました。子どもたちが学校にもっていくお弁当の中身は,じゃがいもや大根ばかりでした。田畑への水だけでなく,のみ水にも不自由し,おけをかついで遠くまで水くみにいかなければなりませんでした。みんなのねがいは,水を自由につかいたいということでした。

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郡山市小学校社会科資料編集委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。