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開拓のすすめかた
開拓は,1873年(明治6年)に大きな池をつくることからはじめました。池がつくられた場所は今の開成山公園です。池をつくって水をため,まわりの田畑に水をおくろうという計画でした。この池は「開成沼」と名前がつけられ,これが現在の開成山運動公園です。
池が完成すると,次に道路や開拓のためにうつり住んで来た人々の家がつくられました。
桑野村のようす[略地図]「安積疏水百年史」より
人々は池や道路をつくり,熱心に土地をたがやしました。開成山あたりの土地はこうして切り開かれ,1876年(明治9年)には,新しい村「桑野村」ができました。そのころには,水田は80ヘクタール,畑は140ヘクタールがつくられていました。
さらに,開拓のためにうつり住んだ人々のために「開成山大神宮」もつくられました。
1878年(明治ll年)には国のよびかけで,九州の久留米藩の武士だった人々をはじめとして,全国から9藩,500家族,およそ2,000人の人々が郡山にうつり住んで,開拓をすすめることになりました。