歴史と文化の薫るまち 須賀川 -001/013page

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歴史のふるさと須賀川

東洋一の牡丹園を誇りとする須賀川市は、豊かな自然と史跡に富んだまちです。

本市には、先人の遺した生活や文化の痕跡が各地に見られます。豊かな歴史は、今も須賀川市民に脈々と受け継がれており、その姿が、市内至る所に見受けられます。

☆国・県・市別指定文化財名称コーナー2

◇文化財を写真で紹介するコーナー

実際に見ることとは違いますが、大体の様子は把握できるのではないでしょうか。文化財の中には、個人所有のものもありますので、写真でしかみることのできない作品もあります。

△文化財所有所在地の近辺地図コーナー

須賀川市文化財マップの文化財所在地近辺を拡大した略図です。所在地の近くに着きましたら、この略図をご覧下さい。なお、図中の記号について、下記のような省略表示がしてあります。

省略表示

 

[国] 宇津峰【うづみね】

宇津峰

 宇津峰は、標高約677mの阿武隈山系に属する独立峰で、山頂からは県南部が一望できます。この山には今から約660年前の南北朝戦乱 の歴史が深く刻みこまれています。宇津峰は当時南朝方の田村氏の勢力下にあったことと自然の要害として最適であったことから、奥州南 朝方の要として城が築かれ、興国【こうこく】元年(1340)鎮守府【ちんじゅふ】将軍北畠顕信【きたばたけあきのぶ】を吉野から迎え入れ、 さらに三品宮守永親王【みしなのみやもりながしんのうごだいご】(後醍醐天皇の孫)を奉じてこ こに国府と鎮守府をおいて北朝方の攻撃に備えましたが、正平8年(1353)5月、し烈な攻防戦の末、ついに宇津峰城は落城し、14年間にわ たる戦いは幕を閉じたのです。

[国] 須賀川一里塚【すかがわいちりづか】

須賀川一里塚

  一里塚は、今から約370年前の江戸時代に、当時の将軍徳川家康の命により全国の主要街道を改修した際築造されたものといわれています。一里塚 は街道を行き来する際、距離を計る目安として、江戸日本橋を基点に一里(約4km)毎に築いたものです。須賀川の一里塚は、旧陸羽街道に残る数少ない もので、東のものは径5m、西のものは径6mあり二基相対し塚形がよく保存されている点では奥州道中唯一のものであり、日本橋から59番目のもの とされています。また、当時塚の上には榎【えのき】が植えられていたと伝えられ、街道を行き来する人たちが木陰で一休みする場としても利用されていたと考 えられます。塚のある旧国道の両側には、かつて見事な松並木がありましたが、現在は数本を残すだけとなっております。


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