1999 須賀川市勢要覧 「和 TAIWA」 -038/044page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

須賀川人物伝

須賀川人物伝

須賀川を愛してやまなかった人々

須賀川の歴史を語るとき
そこにはかならず“人”が登場してきます。
この地に生をうけ、
時代に、分野に、名を残した偉人たち。
その足跡は異なっても、みな
須賀川を愛してやまなかった人たちです。


亜欧堂田善 Aodo Denzen

亜欧堂田善 Aodo Denzen

 寛延元年(1748)、諏訪町の染め物業・永田惣四郎の次男として生まれた亜欧堂田善は、本名を永田善吉と言い、幼いころから非凡な才能を発揮していました。数年前に発見された大絵馬の裏面には、「絵師 須賀川 永田善吉」とあり、14歳の時に描いたものであることから、この時分には、すでに画家として活躍していたものと言われています。

 そして、三重県の寂照寺に画僧月僊を訪ね、教えを受けた田善は、須賀川本町の庄屋の依頼で、けやきの大木が2本そびえる丘から、江戸の町並みを見渡した風景図「江戸芝愛宕山図」のびょうぶを描きましたが、この一枚がその後の田善の人生を大きく変えることになりました。

 寛永6年(1794)の領内巡視の際、休息のため、その庄屋に立ち寄った白河城主・松平定信が、そのびょうぶに目を留め、早速田善を呼び寄せました。そして、その才能に驚いた定信公は、専門画家として励むよう、同行した谷 文晁に紹介したのです。

 寛政10年(1798)、白河藩の江戸屋敷に呼び出され、定信公からオランダ製の銅版世界地図や風景画、人物画など、多くの銅版画を見せられた田善は、その銅版画技法の習得を命じられます。これは、アジアとヨーロッパが一見できる日本版世界地図の製作のためでしたが、この時、定信公から「 亜欧 堂」の号を賜ったと伝えられています。

 そして、日本の融蝕銅版画の創始者・司馬江漢から、しばらく指導を受けた後、定信公に近い蘭学者たちや、公自身から得た知識を参考に研究を重ね、その技法を習得したと言われています。

 それから12年後の文化7年(1810)、田善は、我が国初の銅版画による世界大地図「新訂万国全図」を完成させ、見事に定信公の期待にこたえたのです。この銅版画は、16枚にも及ぶ原版を合体させ、製作された特大のものでした。

 また田善は、文化5年(1808)、蘭学界の第一人者である医師・宇田川玄真の依頼で、52図から成る日本最初の精密な解剖図「医範提綱内象銅版画」を完成させています。この本は当時、、西洋医学の神髄を日本に伝える最高の医学書として確立され、その後も明治時代に至るまで、何度も出版されました。

 定信公の隠居を機に、須賀川に戻った田善は、主に日本画を描くかたわら、江戸で製作した原版を元に布や紙に刷った作品を「須賀川土産」として、奥州街道往来の旅人に商いするなどして、晩年を過ごしたと言われています。そして、75歳の文政5年(1822)、その絵を描き続けた人生に、幕を下ろしたのです。

 なお平成10年(1998)、須賀川市では、田善生誕250年を記念して、156点の作品を集めた博物館特別展を開催し、その業績をしのびたたえています。また翌年には、有志の手による胸像のモニュメントが、その生誕の地に誕生しました。


HISTORY 市制の歩み

[誕生期]

昭和29年
(1954)
3月 岩瀬郡須賀川町・浜田村・西袋村・稲田村と石川郡小塩江村の一町四村が合併し須賀川市誕生(3月31日)
  4月 初代市長に岡部宗城氏当選
  5月 市歌発表
  6月 市章制定
昭和30年
(1955)
3月 岩瀬郡仁井田村が須賀川市に合併
昭和31年
(1956)
4月 須三中開校。澤田三郎氏市長初当選
昭和32年
(1957)
1月 (財)須賀川牡丹園保勝会設立
  5月 国道4号開通
昭和33年
(1958)
4月 第三保育所開設
昭和34年
(1959)
10月 五老山・南舘・保土原舘・妙見山の周辺を含め「翠ヶ丘公園」と改称
昭和35年
(1960)
4月 澤田三郎氏市長当選(2期目)
昭和36年
(1961)
6月 山寺北団地に4階建ての市営住宅を建設
昭和37年
(1962)
8月 体育館新築落成
  9月 中部地区土地区画整理事業に着手
昭和38年
(1963)
1月 宇津峰大橋完成

[展開期]

昭和39年
(1964)
4月 鈴木貞夫氏市長初当選
  10月 円谷幸吉選手(大町出身)が東京オリンピックのマラソンで銅メダル。市制10周年記念式典
昭和40年(1965) 2月 須賀川地方衛生処理組合の「し尿処理場」操業開始
  3月 稲田小新築落成
昭和41年
(1966)
8月 須賀川地方のキュウリ出荷全国一を達成
  11月 仁井田中新築落成
昭和42年
(1967)
2月 石川郡大東村が須賀川市に合併。須賀川地方衛生処理組合の「ゴミ焼却施設」完成
昭和43年
(1968)
1月 大森小新築落成
  4月 鈴木貞夫氏市長当選(2期目)
  5月 上人壇廃寺跡が国の史跡に指定
昭和44年
(1969)
4月 川東小と雨田小の統合により大東小創立
  7月 老人憩の家新築落成
  10月 市庁舎新築落成
昭和45年
(1970)
3月 大東小新築落成

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は須賀川市教育委員会に帰属します。
須賀川市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。