須賀川市人物読本 先人のあしあと -001/134page
亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)と『医範提綱(いはんていこう)』
亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)とは、へんな名前だとは思いませんか。これは、今でいえばペンネームです。アジア(亜細亜(あじあ))とヨーロッパ(欧州(おうしゅう))をまたいで美術を学んだ画家ということです。亜欧堂田善のほんとうの名前は、永 田善 吉といいます。
田善は、一七四八年、須賀川に生まれました。子どものころから絵をかくのが大すきでした。
ある日、松平定信(まつだいらさだのぶ)が、家来をつれて、須賀川を見まわりに来ました。定信は食事をとろうと、町の裕福(ゆうふく)な家にたちよりました。居間(いま)にとおされたとき、そこにかざってあった大きな屏風(ぴようぶ)にふと目をとめました。
けやきの大木が、二本そびえる丘から、町を見わたした風景図(ふうけいず)です。定信は、すぐに主人をよび、たずねました。