須賀川市人物読本 先人のあしあと -023/134page
- をかけて、一本ばしですするのが、なんとも言えない味わい方でした。ここにはたよ女のあたたかい心が、あらわれています。
たよ女のえらさは年をとってからも、俳句の心がいっそう清くすみわたりよい俳句をつくったことです。たよ女の育てた須賀川市内の弟子には、山辺清民(せいみん)や道山壮山(そうざん)などがいて、たよ女の志(こころざし)をついでもりたてていきました。さらに、たよ女は一生を通じて、松尾芭蕉(ばしょう)を尊敬(そんけい)し続けて、その伝統(でんとう)を残そうと努力しました。
たよ女は、八十才のとき、芭蕉が須賀川を訪(おとず)れたときにつくった有名な俳句
「風流のはじめやおくの田(た)うえ唄(うた)」
という句碑(ひ)を建てました。この句碑は全国にあまりないほどりっばなもので、須賀川のほこりでもあります。十念寺にあり、今でも訪れる人が絶(た)えません。たよ女が七十八才のとき、長男と次男の二人は、年老(お)いた母をなぐさめようと、須賀川のあたご山やみょうけん山あたりへ花見にさそいました。たよ女は、夕方