須賀川市人物読本 先人のあしあと -056/134page
ちが神社前の踊り場所に集まってきました。そして、青年たちが踊りはじめると、われもわれもと村人たちが踊りの輪に入ってにぎわい、たいこ打ちにもいっそう力がこもってきました。踊りも最高ちょうになってきたとき、今まで聞きなれない歌が歌われたのです。
「ハアー 江持洞門鬼亀ぬいた、会津磐梯山だれぬいた」
見ていた人もいっせいに歌声の方に目を向けたほどです。その後は、踊り子たちが声をそろえて、「江持洞門鬼亀ぬいた……」 と歌い出しました。
会津の磐梯山が大ふん火したのは、明治ニ十一年の七月十五日で、洞門完成と同じ年であったのです。だから、亀五郎の功績(こうせき)をたたえた歌でもあったわけです。
そののち、明治三十年、新しくできた洞門を通る通が県道になり、交通もいっそうひんばんになってきました。交通がひんばんになるにつれ、道路の道はばも広くなってきたので、明治四十一年、昭和十年、昭和五十七年の三回、洞門もかくちょうされ現在のようになりました。