須賀川市人物読本 先人のあしあと -055/134page
はりつくようなときもありましたが、一生けん命に働きつづけていました。
一年の月日が流れたころには、洞門も四分の三ほどまでに進みました。しかし思ったより作業の進み方がおそく、人夫の数も多くかかったので、村から出る費用は残り少なくなってしまいました。
工事をうけおった亀五郎は、どうしても完成しなければならないという責任を感じ、自分の土地を売ったお金で人夫に賃金(ちんぎん)をはらっていました。村の世話人たちも、そのことを知り、村の人たちに役(やく)(貸金のいらない人夫)として毎日数名ずつ出てもらうことにしました。
お盆もすぎた、八月の末、一年半かけて、ついに洞門が完成しました。十月十五日の秋祭りには、村の青年たちによって豊年踊りが行われるのですが、今年はとくに、洞門の完成を祝う日でもあったので、まだ明るいうちから、ふえやたいこの音がひびきわたっていました。
早くから子どもたちが、やぐらのまわりを走りまわり、夕方になると、村人た