須賀川市人物読本 先人のあしあと -067/134page
首藤保之助(しゅどうやすのすけ)と泥面(でいめん)
孝古(こうこ)、民俗資料(みんぞくしりょう)を集める仕事に一生をかけ、集めた資料をたくさん須賀川市に寄付(きふ)した首藤保之助は、明治二十年(一八八七年)三月、岩瀬郡木之崎村(長沼町)味戸保左衛門の三男として生まれました。
そのころ木之崎村には小学校がなかったので、七キロもある遠い道を歩いて須賀川の学校に通い、明治三十六年に卒業しました。
校長先生は保之助の成績がたいへん良かったので、その才のうをおしんでさらに勉強をつづけるよう、東京の師はん学校(先生になるための学校)に進学をすすめました。
師はん学校を卒業した保之助は東京の浅草に住み、小学校の先生として勤(つと)めました。