須賀川市人物読本 先人のあしあと -068/134page
父は、保之助が教師として東京に住んでいた大正三年に稲田村に、分家として出しましたが、保之助はつぎの年に、石川郡泉村(玉川村)の首藤カクと結婚し、「首藤保之助」と名前を変えました。
保之助は学生時代から孝古学にきょうみをもっていましたが、とくにそのころから、古い土器や石器を集めるのにむ中になりました。熱心さのあまり、食べるものも食べず収入のほとんどを、それにつぎこんだため、食事といえばとうふやおからだけというありさまでした。せけんからは、かわり者と言われ、つき合う人も、あまりいなくなりました。カクの両親は、娘がたいへんな人と結婚してしまったとなげいたそうです。
首 藤 保之助