須賀川市人物読本 先人のあしあと -072/134page

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 鏡石町成田の石切場から出土した「石匙(いしさじ)」のようなものも、その中の一つで、やがて旧石器時代の「槍先(やりきき)」とわかり「成田型旧石器」として学者のあいだで、ひょうばんになり、注目をあびました。

 保之物は、このようにして集めた収集品を、多くの人に見せようと自分のお金で展示するための建物を、ふるさとの玉川村につくり「阿武隈考古館」と名づけました。

 阿武隈考古館には、東京からも多ぜいの学者が来ましたが、保之物は、貴重な収集品は、保存管理(ほぞんかんり)のしっかりした、おおやけの施設(しせつ)ですることが良いと思っていました。また、個人で管理するためには、自分が亡(な)くなったあとの、こうけい者のことや、ながいさきの建物のことを考えると、むずかしいと思ったのです。

 そして、昭和三十三年に苦労しながら集めたたくさんの収集品を、須賀川市に寄付しました。

 市では一時、須賀川市体育館に展示、保管していましたが、昭和四十五年に市


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