須賀川市人物読本 先人のあしあと -092/134page
手バスにも乗らないで、しばらく競技場のかげにかくれ、くやしなみだを流していました。
その日からは、もっときびしく、もっと長いきょりを走るようになりました。高校二年生の春の大会ではみごとに入賞し、県大会や東北大会にも出場して活やくするようになりました。
円谷選手はいつでも、努力・忍耐(にんたい)・根性(こんじょう)・そして最後(さいご)までつらぬくことを実行するようになっていました。陸上部に入ることが許されたとき、お父さんは「とちゅうでやめるな最後までやることだ。」と言って、いつまでも円谷選手の目をみつめていたことが心の中に残っていて、苦しいときに思い出しました。
走ることに希望のでてきた円谷選手は、友だちの記録や成績もあまり気にならなくなりました。苦しみながら努力すると自分で物がよく見えてくることに気がついてきました。くやしい思いをするのがいやなら、もっと自分で努力して勝てばいいと思うようになりました。