須賀川市人物読本 先人のあしあと -093/134page

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 高校一年の秋の大会で、くやしい負けかたをした気持ちは、円谷選手を大きく成長させていたのです。高校三年生になると、全国大会の代表選手になり、他県の選手と肩(かた)をならべて活やくするようになりました。いつも礼ぎ正しく、まじめでさわやかな選手として、他県の選手からもほめたたえられるようになりました。

 高校三年生の秋に、進路希望のことですこしなやみましたが、郡山自衛隊(じえいたい)に合格(ごうかく)しました。これは、ランナーとしての自分をもっときたえたいし、また、老(お)いた両親の農業の手伝いもしたい。そんなことが心の中にあったからです。

 規則(きそく)正しい生活ができ、練習時間もとれる生活は、円谷選手にとって最高の職場(しよくば)でした。間もなく自衛隊体育学校にすいせんされて、有名なコーチから訓練を受けることになりました。

 全日本の代表選手に選ばれるように成長していった円谷選手は、昭和三十八年八月のプレオリンピック大会にも選ばれ、五千メートルと一万メートルに出場して入賞する活やくをしました。オリンピックで勝つためにはどうしても最後の力


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