須賀川市人物読本 先人のあしあと -099/134page

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に外国のお米を買いにいったりしました。そのうえ、町の人たちに呼びかけてお金やお茶を寄付(きふ)してもらって準備をしていたので、凶作になってもこまりませんでした。それどころか、凶作のためお米がなくてこまっている近くの村にもわけてやることができました。

 そのころ、白河の県立病院を、福島県のできるだけ中心にうつすことになりました。県立病院の院長は、どこの町に病院をうつしたらよいか調べて歩きました。院長は、前から伝右衛門たちに会って、生産方の人たちが須賀川に県立病院をもってくることに大賛成であることを知っていました。その理由は、「須賀川の町には、病院を建てるのにてきとうな場所がある。町のまわりには、村の数も多い。人々は病院というものをよく理解していて、町じゅうの人々が病院ができることを願っている。」ということでした。

 調査して一か月後、いよいよ須賀川に県立病院ができることになりました。本町に、むかし大名行列が須賀川の町を通っていたころ、殿様(とのさま)のとまる宿がありま


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